バカヒ新聞の記事より
トランプが日本へ、そして日本はトランプへ――。米経済紙、ウォールストリート・ジャーナルが2日、そんなタイトルのコラムを掲載した。
筆者は、米外交に詳しい米バード大学のウォルター・ラッセル・ミード教授。トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と電撃会談したことに触れ、「多くの人々はこうした即興的、一方的な外交が国際政治から消えてほしいと願っている」と批判。その上で「日本の二つの動きは、国際政治のトランプ化が続くかもしれないと示唆している」と指摘した。
ミード教授が言及したのは、31年ぶりの商業捕鯨再開と、韓国に対する半導体関連の輸出制限措置。「日本のナショナリストらにとって、欧米の文化帝国主義の象徴である国際捕鯨委員会(IWC)に刃向かうことは国家としてのプライドを主張する手段だ」「政治と貿易をない交ぜにする決断は、国家戦略における劇的な変化だ。トランプ流としか言いようがない」などとした。
日本を「ルールに基づく多国間主義的なシステムの最も信頼できる支持者だった」と表現したミード教授。その日本の外交姿勢が変わりつつあることは「トランプ時代が一過性のものではなく、(世界の)変遷期となっていることを示している」と指摘した。(ニューヨーク=藤原学思)
2019年7月3日19時42分朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM734WC7M73UHBI01B.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20190703004091_comm.jpg
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(私の意見)
バカヒ新聞の記事ですが、なかなか面白かったので取り上げます。
さて、安倍総理の外交手腕がトランプ並みだとするとかなり褒めすぎなような気がしますが、バカヒがここまで悪く言っているという事は日本外交はかなり上手くいっている証拠だと思います。
安倍総理は悪く言う人もいますが、外交手腕も、経済の読み方も、政局の読みもかなりのものだと思います。
もう少し安倍政権が続けば、憲政史上最長の総理大臣となります。そう言った意味では天才的な総理大臣です。安倍総理の岸信介の孫として名門の家柄に生まれましたが、学校の勉強はサッパリ出来なかったそうです。
商業捕鯨再開も、対韓制裁も5年前だったらまず不可能な事だと思われていました。随分、世の中も変わったものです。
私は怠け者である
私は怠け者である。
ブログにしろ動画にしろ、毎日更新しつづけないとアクセス数、再生数は伸びないものである。しかし私は時々しか書けない。
それとツイッターとか、フェイスブックとかその他のSNSとリンクさせてブログに誘わないとなかなかアクセス数は伸びないのだが、せいぜいツイッターくらいとしかやっていない。
それと、昔は本を買って読む事が多かった。本を何時間でも集中して読む事が出来たのだが、ネットの時代になると見なければならない動画、読まなければならないブログが多過ぎて、とても本なんか買って集中して読んでいられない。動画は聞き流しだし、ブログは縦読みである。
またネットの時代というのは確かに情報が多面的で、選択肢が多いのでそれは良い事である。
しかしコミニュケーションギャップを感じる事も多い。例えば、韓国について政治の保守系ブログや動画を見ている人だと日本国民全員が嫌韓であると思ってしまうものである。しかし未だに韓流のドラマだか何だかに夢中になっている人がいることも事実である。
僕はある飲み屋である女の子と話をしたのだが、その子が「韓流が好きだ」と言ったのを聞いてビックリした。政治の保守系ブログや動画ばかり見ている私から見たら、当然ものすごく違和感を感じた。その子に韓国はものすごく酷い国である事を説明したのだがその子は、「政治には関心がない」と答えただけであった。もちろんこういう子は選挙の投票にも行かないだろうが、こういう子が一定数いる事も事実である。
また私のブログを読んでいる人なら当然感じる事であるが、私は価値観が大多数の人と違っている。左派の人とかけ離れているのは当然であるが、保守派の人ともかなり違っている。私のような一般社会の価値観とかけ離れた人間は発達障害や適応障害を起こしやすい。というか、すでにそうなのかもしれない。
「生活保護受けるぐらいなら、死んだ方がマシ」と「殺すぐらいなら殺されよう」は同じである。
「生活保護受けるぐらいなら、死んだ方がマシ」と「殺すぐらいなら殺されよう」は同じである。
どこかの書き込みで「生活保護受けるぐらいなら、死んだ方がマシ」という書き込みをしている人がいました。そんな人には、「では勝手に死んで下さい。ただ他人を巻き込まないで下さい。」と言うしかありません。
憲法9条改悪阻止総がかり行動委員会というのが、「殺すぐらいなら殺されよう」というのをスローガンにしていました。そんな人には、「では勝手に死んで下さい。ただ他人を巻き込まないで下さい。」と言うしかありません。
どちらも思想的立場に違いがあろうとも、命を軽いものであると考えている事については同質である。そしてそう言っている人たちの本音は、だいたい自分の命は大事だが、他人に命を捨てさせる事を正義だと言いたい点については同質である。
生命保険会社無用論
生命保険会社にお勤めの方には失礼になってしまいますが、「生命保険会社無用論」を唱えたいと思います。
「働いたら負け」は正しいとしか思えない
「働いたら負け」とよく冗談で語られます。
しかし私に言わせれば、それは事実であり、真実であるとしか思えません。
こちらの統計をご覧ください。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11601000-Shokugyouanteikyoku-Soumuka/201312061-2.pdf
日本人の総労働時間は、平成6年度が1,903時間、平成24年度が1,794時間ですから、一見減っているようにみえるかもしれません。
しかしそれは単に非正規雇用の割合がふえただけで、パートタイム以外、正社員の労働時間は平成6年度が1,999時間、平成24年度が1,997時間ですからほとんど変わっていないのです。つまりパートタイムが増えれば平均労働時間は減少する統計のマジックに過ぎず、日本人の労働環境はさらに悪化していると言えます。
次はここから引用しました。
https://blogos.com/article/85696/
総務省統計局の「労働力調査」では、全国で約4万世帯の約10万人に聞き取りをして、平均週間就業時間を発表しています。これは、月末1週間の労働時間を調査員が直接聞き取るものです。1年が52.14週ですから、大ざっぱに52倍すると年間労働時間となります。
このブログ主が推定した男性の年間労働時間は、2,012年で2,340時間にもなるのです。さらに統計に出ないサービス残業や通勤時間などを加えたら日本人の平均的な男性正社員、おそらく2,500時間以上にも達するでしょう。実に恐ろしいほど、日本人は働かされているのです。
こんな環境で働くなら、生活保護を受けている人達の方が正常な神経の持ち主のように思えてなりません。
国民に老後の生活など考えず消費させる制度づくりを!
老後の生活費が年金以外に30年間で約2千万円必要だと記した金融庁の報告書について、麻生太郎財務相兼金融担当相は11日の閣議後の記者会見で、「世間に著しい不安を与えている。政府の政策スタンスとも異なる。正式な報告書としては受け取らない」と述べた。報告書は金融庁の金融審議会の総会を経て麻生氏に提出されるものだが、事実上の撤回に追い込まれた。
報告書内の表現について、麻生氏は「極めて不適切」と述べた。報告書の公表後、野党などから猛反発を招いた上、自民党からも撤回を求められる事態となっていた。
報告書は、寿命の延びに合わせて、蓄えである「資産寿命」を延ばそうと呼びかける内容。年金暮らしの無職の高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)では生活費が平均月約5万円足りないとし、「毎月の赤字額は約5万円」などと表現。20~30年生きれば、1300万~2千万円が必要と分析した。(岩沢志気)
2019年6月11日11時59分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM6C3VLGM6CULFA00S.html