愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

三橋貴明氏の逮捕について

三橋貴明さんが奥様への傷害容疑で逮捕されたようです。

三橋さんの私生活について実態を私は知りませんし、その点について特にコメントする事はありません。

しかし積極財政論や政府紙幣論を主張する論者は何故か不自然な事件で失脚します。

三橋貴明 妻への傷害容疑
高橋洋一 置き引き
植草一秀 痴漢

日本の場合には、割と軽犯罪で失脚に追い込まれるケースが似ています。私は植草一秀さんの国家観については全く支持できません。しかしながら、積極財政論を唱えていた事は支持していました。

アメリカ大統領の場合にも政府紙幣論を主張した大統領は暗殺されます。リンカーンガーフィールドケネディです。どういうわけだか暗殺されるのです。

それからフランスで国際通貨基金IMF)の専務理事、ストロスカーン氏が強姦未遂容疑などで逮捕 された事件がありました。このストラスカーンが、フランス大統領選で、 大統領になる予定の人でありました。積極財政やギリシャへの救済を積極的に唱えていた人物です。

陰謀論なのか偶然なのか私は決め付ける気もありません。しかし偶然にしてはあまりにも出来過ぎています。

財務省のエリート官僚達はオルデカのいう大衆である

スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットは名著『大衆の反逆』の中で、専門家を自己懐疑せず、権利ばかりを主張する、悪い意味での「大衆」の典型だと指摘しました。そのあたりについて、京都大学名誉教授で思想家の佐伯啓思氏の著書から引用してみましょう。

「ここで、オルテガはおもしろいことをいいます。今日における大衆の典型はいったい何かといえば、それは各種の専門家であるというのです。<中略>
科学的な専門家は、要するに自分の狭い世界のことしか知りません。<中略>にもかかわらず、自分の属している世界がすべてだと感じている。
その結果、自分がそのなかで育ち、獲得してきた世界についての見方がすべてを理解するカギだと思ってしまう。<中略>これで世界を動かすことができると考えてしまう。だから彼は積極的に政治にかかわり、彼の世界観や社会観が政治的に実現されるべきだと思っている。この一種の無意識の思い上がりこそが、現代の大衆の典型であるということなのです。
たとえば、経済なら経済という非常に狭い世界しか知らない。しかし、それにもかかわらず、経済の狭い世界が世界全体であるかのように、それが客観的な世界であるかのように思い込んでしまい、自分の狭い専門世界から得てきた意見が絶対的に正しいものだと考える。それは政治的に実現されるべき権利をもつと考える」(出典:『20世紀とは何だったのか ~西洋の没落とグローバリズム~』佐伯啓思PHP文庫 P199-201)。
(私の意見)---------------------------
オルデカの言う大衆とは、貧乏人の事でも、低学歴者の事でもない。

あるゆる分野の専門家の事である。世間的には例えば、医者という職業はエリートである。収入も社会的地位も高い。しかし、広い世間を知らず、自分の専門的な世界の価値観だけに生きていれはオルデカの言う大衆である。

例えば、大病院でその病院の院長になる事が、その病院の医師の狭い世界の価値観の中では絶対的な価値観になってしまう事は結構多いのである。その出世のためには、患者の命さえ犠牲にしてもいいという価値観を持ってしまう医師がいるという事は決して稀な話ではない。

もっと甚大な被害を及ぼしている例を言いたいと思う。財務省の話である。財務省のエリート官僚とは、東大をトップクラスの成績で卒業し、欧米のハーバードとかケッブリッジとかの大学院をやはりトップクラスの成績で卒業した超エリートである。

しかし彼らは、財務省という狭い世界の価値観で生きており、そこで出世する事にしか関心がない。財務事務次官になるという事が、彼らの最大の栄誉である。そのために、財政再建という誤った政策を行う事が至上命題となる。そのために、消費税を増税し、歳出を削減するのである。そのために国民が塗炭の苦しみを味わったとしても全く無関心なのである。

財務省のエリート官僚達はオルデカの言う大衆なのである。問題はその人達がものすごい権力を保持してしまっているという事である。

 

政治や経済を動かすのは、利権ではなく、思想である。

イデオロギーの持つ影響力について、ジョン・メイナード・ケインズが名言を残しています。

「経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら、経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには煽動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。」(出典:『ケインズ全集7 雇用・利子および貨幣の一般理論』 訳者:塩野谷祐一 東洋経済新報社 P384)

(私の意見)---------------------------
我々は政治や経済は利権が動かしていると思ってしまう事が圧倒的に多いと思う。しかし、ケインズは利権よりもはるかに思想の方が政治や経済を強く動かしているものであると論じている。

一例を挙げてみよう。戦後日本では、「憲法9条教」というカルト宗教が大流行しました。いわゆる日本が非武装化すれば、日本をどこも侵略してくる国などなく平和が守られるというキチガイカルト宗教です。もちろん日本が非武装化される事はありませんでした。しかしこのカルト宗教の流行の影響で日本の防衛力の整備に極めて障害を与えた事は事実であります。最近ではこのカルト宗教の洗脳からかなり日本人が解けてきましたから、防衛力の整備が積極的に出来るようになったのです。

もう一つ例をあげましょう。日本では40年くらい前から「財政再建教」というカルト宗教がやはり流行しました。この影響で日本はロクな財政出動が出来なくなりました。そして、消費税という大型間接税が導入される事になってしまい、その後何度も消費税の増税が行われる事になってしまいました。

デフレ下においては、増税や歳出削減ではなく、日銀の国債保有通貨発行権の行使によって財源を調達するのが最も正しい政策であります。そうすれば経済成長、デフレからの脱却という事が出来るのです。

しかし現在でも多くの国会議員や国民は「この財源がない」「財政再建をしなければならない」というカルト的な思い込みによってロクな財政出動が出来ないでいるのです。

こう考えると、ケインズの言うように政治や経済を動かしているのは、正しいにしても間違っているにしても、人々の思想、思い込み、価値観であると言う事が分かると思います。

私は人々を僭越ながら正しい考え方に導こうと考えているのですが、人の固定観念を変える事こそ最も難しい事であります。私がこのブログを書いているのも少しでも人々が正しい考え方になるように願っているからであります。

お金は遣えば遣うほど増える

個人の単位ではお金は遣えばなくなります。これは皆さん当然に理解している事だと思います。

しかし、社会全体の単位ではお金は遣えば遣うほど増えるのです。

Aさんが1万円のお金を遣ってBさんから何かを購入したとします。すると、売ってくれたBさんの1万円の所得になります。次にBさんがCさんから1万円の何かを購入したとします。すると、Cさんの1万円の所得になります。

これの繰り返しで、1万円のお金を社会の構成員全員が得た1分後にお金を遣ったとします。すると10分後には社会全体の所得は10万円も増えるのです。(ただし税金というものを全く考えない事を前提とします。)

いずれにしても、お金は遣えば遣うほど増えるのです。これを考えれば個人がお金を貯蓄する事は、社会の害悪である事が分かると思います。

これを理解していない人があまりにも多過ぎるのです。防衛力を強化するなら、一番最強の戦闘機でもイージス艦でも買ってあげて、軍需産業にたくさんお金を払ってあげればいいのです。そうすれば、その軍需産業の売り上げとなり、そこに勤める社員の給与となるのです。コストパフォーマンスなど考える必要はないのです。

節約する事が正義だと思ってしまう馬鹿が多過ぎます。金は天下の回り持ちと言います。

人権と経済成長

姥捨山という話がある。

簡単に言えば、高齢になった爺さん、婆さんを山に捨てに行くという話である。これを簡単に考えれば、生産力のない老人は口減らしのためにために親を殺すという話である。

現在の価値観で言えば、実に残虐非道な話である。しかし生産力の低い時代においては、生産に役に立たない人間を生かしておくことは共同体全体の崩壊を意味するのである。つまり当時においてはそれが正義だったのである。

現在は生産力の高い時代である。この時代に親を殺すという残虐非道な事は許されざる事である。それどころか、老人も身体障害者も生きる権利があるのであるというのが現在の価値観である。

よく2ちゃんねるとかの掲示板の書き込みで「老人や障害者は死んじまえ!」という書き込みを目にする。こういう価値観を持つ人は非常に古臭い価値観の持ち主なのである。

これを考えれば、人権というものが発達するためには、経済成長というものが不可欠であるという事が分かるであろう。

だからこそ経済成長は大事なのである。

それでも生活扶助費の支給減額に反対

 政府は18日、生活保護費のうち食費や光熱費などに充てる「生活扶助」について、2018年10月から3年間で国費約160億円削減することを決めた。

 受給者の生活に大きな影響が出ることを避けるため、基準額を一部世帯で段階的に引き下げ、減額幅に最大5%の上限を設ける。同日行われた加藤勝信厚生労働相麻生太郎財務相による閣僚折衝で決着した。

 生活扶助の基準額は、5年に1度見直している。現行の基準額が生活保護を受けていない低所得世帯の生活水準を上回るケースが見られたため、引き下げを決めた。当初は最大1割程度減らす案もあったが、受給者の生活への影響が大き過ぎるとの反発を招き、引き下げ幅を最大5%とすることでまとまった。

 基準額の引き下げは、18年、19年、20年の10月に実施する予定。都市部に住む子どもが2人いる世帯などは基準額が下がる一方、世帯構成によっては増額する場合もある。 
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171218-00000136-jij-pol
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(私の意見)
保守層の人達は生活保護について批判的な人が多いです。それでもあえて言います、生活保護の生活扶助費は減額しない方がいいです。

今回の生活扶助費の減額はマクロ経済への影響を全く考えていません。生活保護受給者は貯金が禁止されているので、生活保護で支給される生活扶助費はほとんど消費に回ります。経済効果が非常に高いのです。生活保護受給者だけでなく、その関連産業にも影響が出ます。

自民党にとっても愚かな選択です。現在、日銀は毎年国債を80兆円買うという政策をやっていてそれで全くインフレが起こらない状況です。それを考えると160億円など微々たる金額です。それで200万人以上の生活保護受給者を敵に回す政策をやるわけですから、次の選挙を考えても愚かな選択です。

経済状況は結構良くなってきた

GDPの統計を見ると、結構数字が良くなってきた。2017年の4月〜6月が実質で2.9
%、7月〜9月が実質で2.5%の成長率である。生活実感に近いとされる、名目は4月〜6月、7月〜9月とも3.2%の成長率である。

バブル景気の時に比べればまだまだとはいえ、失われた27年の中ではかなり良くなってきたといえる。やはりアベノミクスの成果がかなり出てきたと言えるであろう。

ここで問題なのは、少し景気が良くなると緊縮財政派、財政規律派の国会議員はまだまだ力があるので盛り返してくる懸念である。

しかし「国の借金」の嘘はかなり周知されてきたといえる。財政出動に積極的な議員も増えてきた。こういった事も、景気に良い影響を与えているものといえる。

10月〜12月期のGDPも株価が上昇していたので、資産効果による設備投資や消費マインドの回復も見込める。結構、良くなるのではないかと予測される。

まだ予断は許さないものとは言え、状況は明るくなってきている。この流れが更に強くなる事を願いたい。