愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

「日本国の家父長制の代表者」「日本人に対する抑圧者」という政治利用(転載)

私のmixiの友人が日本の家族論について論じておりまして、私も共感いたしましたので転載します。

 

(友人)左翼は、21世紀の天皇大日本帝国時代の神聖不可侵天皇と同様に、家父長制の代表者としての天皇を見ているのではないだろうか。


詳しい内容は割愛するが、徳川時代までの天皇は親族制の代表者であっても家父長制の代表者などではなかった。その理由は簡単なことで、伊藤博文明治憲法を発布させるまでは日本国は中世から連面と続く親族制の国だったからである。

ところが、この伊藤博文という人が、日本国社会にヨーロッパ社会の家父長制を取り入れたことにより、我が国の天皇は家父長制の頂点として君臨して、家父長制に抑圧されている純粋な日本人から漠然とした悪感情を抱かれるようになってしまった。

私は、日本国は、ヨーロッパ社会から取り入れた家父長制を破棄して、本来の親族制社会を取り戻すべきだと考えている。

そうすれば、左翼になる純粋な日本人も減って行くという結論に達しているからである。


(私)親族性社会とは、社会学的概念ですか?検索してみましたが出てきませんでしたが?


(友人)そこがずばり詳細は割愛させていただくと断った箇所です。私が独自に発見した考えです。大国主の国譲りも親族のアマテラスの息子のアメノオシホミミに譲ったことを踏まえたら、分かるように家父長制というより親族制なんです。

分かりやすく言うと、私たち日本人は父方母方の親族両方の影響が強い社会を構築して来ました。

ところが、明治になり近代法で戸主という家父長が政府の画策により登場します。伊藤博文はその頂点に神聖不可侵天皇を置きたかったのでしょう。実際に、戸主は戸籍の長であり、家庭内において絶対の権力を持っていました。

私たちの歴史の連続性は悪い意味においてキリスト教のゴッドを真似て伊藤博文が作った家父長制の代表者としての神聖不可侵天皇の登場によって否定されてしまったのです。

例えば、日本の武家で言えば、鎌倉時代北条義時父親北条時政を追放していますし、武田信玄もまた然りです。追放したのにも理由があって、隠居しても親権は永続するので、親に勘当される前に親族一同で先に子が親を追放したのです。北条義時の場合も、武田信玄の場合も、周囲の人々の協力があったことを忘れてはなりません。

ところが、明治に突如現れたヨーロッパ型の戸主制度は、戸主を追放することができません。

戸主の場合、一人娘で未来の戸主の女性と結婚すると家長はその女性なので、明治以降の婿養子は婚姻相手の女性に頭が上がりなかったということが普通に考えられます。

徳川時代御家騒動でも親族の介入はマナーのようなところがありますし、日本は中韓のような一族制ではなく、親族制という訳です。

大河ドラマ篤姫というのがありましたが、島津家が徳川家の一族でもないのに幕末に発言権が認められまくっていたのも、篤姫を徳川将軍に嫁がせていたので親族としての発言権があるという考えに則れば当たり前の話です。

以上のように、大国主が親族のアメノオシホミミに国譲りをしたという神話が編纂された飛鳥時代から奈良時代にかけて既に私たちの国は親族制国家だったという訳です。

この辺りは、中韓の一族制とも、ヨーロッパの家父長制とも、オリエントから中央アジアにかけての部族制とも異なります。

日本文明は他とは全く異なる社会システムを構築して来たという訳です。