井上智洋先生「来るべきAI社会、人々に保証すべきは仕事か所得か」
来るべきAI社会、人々に保証すべきは仕事か所得か
前略
■ 無駄な労働
次から次へと無駄な労働が作り出されるという事態は、私がこの世でもっとも理不尽に感じていることの一つです。
人類学者のデヴィッド・グレーバー氏は、2018年に『Bullshit Jobs: A Theory(クソのような仕事)』という本を出版しています。その本によれば、自分の仕事が無意味と思っている人はかなり多くて、イギリスのユーガブという調査会社の調査によれば、37パーセントの人々がそう思っているようです。
グレーバー氏によれば、受付係やドアマン、ロビイスト、企業弁護士などがクソのような仕事ということになります。
私は、これらの仕事を必ずしも無意味であるとは思っていません。そうではなく、日本中の至るところで、日々無駄な会議が開かれ、書類が作られているのを嘆かわしく思っています。
私としては、そうした無為な営みに時間や労力を費やすよりも、本を読んだり、映画を見たり、経済学の研究を進めたり、居酒屋に行ったりしたいわけです。
JGPでは、求人に応じて労働者が雇われるのではなく、求職に応じて労働者が雇われます。労働が必要な分だけ労働者が雇われるのではなく、希望する労働者を雇い入れる分だけ労働が作り出されなければなりません。
したがって、無駄な労働が作り出されることは避けられないと私は考えています。
たとえ、私自身がJGPに参加して無駄な労働に従事するのでなかったとしても、この国で盛大に無駄な労働が作り出されているとしたら、それを望ましいことと考えることはできません。
政府が、労働者に穴を掘らせてその穴を土で埋めさせるという作業を延々と繰り返させていたら、多くの人々が違和感を覚えるでしょう。
しかしながら、私たちが日々取り組んでいる無駄な会議や書類は、結局のところこうした“穴掘り”“穴埋め”と変わりありません。
JGPであからさまに無意味なことは行われないだろうけれど、十分綺麗な道路すらもいつまでも掃除するというような作業が行われることは目に見えています。
後略
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191223-00058618-jbpressz-bus_all&p=1
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(私の意見)
マクロ経済学とAIの専門家の井上智洋さんの記事からの引用です。私も多くの人達が無駄な仕事をさせられているという意見に全く賛成です。
ジャンボ機を運転という仕事はとっくの前に自動運転で出来るようになっていたそうです。でもそれが出来ないのです。パイロットの首を切らなければならなくなるからです。
学校の先生の仕事は授業をおこなうというのが仕事のほとんどを占めています。日本中同じような検定を通った教科書で授業しているのですから、文部科学省の公式チャンネルで授業を流しておけば良いだけです。でもそれは出来ないのです。学校の先生の首を切らなければならなくなるからです。
ジャンボ機の運転手や学校の先生はまだ良い方です。世の中には無駄なだけでなく人を不幸にする仕事もたくさんあります。先物取引や不動産を儲かるとウソをついて売っている営業マンなどはその最たるものです。
こんな仕事もベーシックインカムなどの国民に直接お金を配るやり方で減らす事ができると思います。その方が国民にとって幸せなのではないでしょうか。