ミレーの「落ち穂拾い」の話
ジャン=フランソワ・ミレーの1857年の名画で「落ち穂拾い」というのがあります。現代人が見ても何を表しているか分からないでしょう。これは何を表しているかというと、農民が刈り残した穂を拾い集めることで、ようやく生計を立てることのできる最も貧しい人々です。曲がった腰や無骨な手から、労働の過酷さが伝わってきます。
何故、落ち穂拾いなんていうケチくさい事をしなければならなかったのでしょうか。それは、1つの種から出来る収穫物がものすごく少なかったからです。わずか161年前の話です。それから品種改良が行われ、1つの種から出来る収穫量はものすごく上昇しました。今では食糧が大量に捨てられるほど収穫されるのです。
これが技術進歩というわけです。技術進歩は農業だけでなく工業や他の分野でも著しいものがあります。今では過剰生産で逆に消費されない製品に溢れて困っている状況なのです。
わずか160年の間にこれだけの技術進歩が起こったわけです。それに対して人間の価値観というのはなかなかついていけないものです。
デフレの解消がなかなか出来ない原因はこれも1つの要因ではないかと思っています。つまり多くの人達は生産力の低い時代の発想で物事を考えてしまうという事です。
現在は供給過多の時代なのです。ですからどんどんと需要を喚起する事を考えなければならないのです。経済学も基本的に生産力の低い時代の考え方で作られています。
さらにこれからは人工知能やロボットによってもっともっと生産性が上がる事が確実な状況です。もっと需要を増やしていかなければデフレギャップはさらに広がっていくのです。