愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

捏造のGDPギャップ統計について

 自分の「潜在的な能力」を「平均的に発揮する能力」と考える人は、滅多にいないと思われます。
 ところが内閣府や日銀の発表する潜在GDPの定義は、この一般常識から外れています。
 「潜在GDP」とは「過去平均の実質GDP」とされているからです。
 この定義は「経済は平均的に均衡軌道上を進行する」という主流派経済学の経済観に基づくものですが、人びとに誤解をもたらす根源です。
 実際、この定義がGDPギャップの推計に使われ、経済政策の策定に由々しき影響を及ぼしています。
 政治家、経済人およびマスコミ人の中で、「潜在とは平均を意味する」という役所の用語法に気づいている人は殆どいないと思われます。
 まさか潜在GDPが平均GDPを意味し、潜在成長率が平均成長率であるとは思いもよらないのではないでしょうか。
 大多数の人たちは「潜在」を一般的な意味で考えるため、「潜在GDPは現実GDPの越えられない壁(限界)である」、あるいは「潜在成長率は経済成長の天井である」と誤って認識してしまうのです。(後略)』

 青木先生のコラムは、日本の「デフレ化指標」の一つたる「平均概念の潜在GDP」の致命的な問題について、細かく解説して下さっていますので、是非ともお読みくださいませ。

 概要を解説しますと、まず「潜在GDP」とは、
「日本の労働力や設備がフル稼働した際に、生産可能なGDP」
 なのです、本来は。

 上記の考え方に基づく潜在GDPを、「最大概念の潜在GDP」と呼びます。

 ところが、経済学の世界では、いつの間にか潜在GDPが「過去に生産されたGDPの平均」という概念に変わってしまったのです。実際、内閣府は潜在GDPについて、
「経済の過去のトレンドからみて、平均的に生産要素を投入した時に実現可能なGDP」
 と、定義しています。

 いや、ちょっと待てい! 例えば、わたくしがアスリートだったとして、
「君が出し得る最高タイムは、過去のレースの平均タイムだよ」
 と、言われれば、誰でも「はあ?!」となるでしょう。わたくしの過去の最高タイムは、文字通り「最高タイム」だったときのレースのタイムです。最高タイムを叩きだすわたくしの走りが、「潜在走力」になるはずです。

 ところが、経済「学」の世界では、潜在GDPは「過去の平均」と定義変更がされてしまっているのです。

 しかも、潜在GDPは「労働投入量+資本投入量+全要素生産性(TFP)」で変わるのですが、青木先生のコラムにもありますが、日銀の潜在GDPの試算はTFPという生産性の向上を「無視」しています。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12291254303.html

(私の意見)--------------------------------
上記は三橋貴明さんのブログからの引用です。私もかつて内閣府や日銀から出ているGDP ギャップは捏造であると取り上げた事がありました。

http://keizaikakumei.hatenablog.com/entry/2017/01/14/201438
内閣府や日銀のGDP ギャップ統計は捏造である

私はかつて今は亡き丹羽春喜先生から内閣府から発表されるGDPギャップ統計は捏造であると習いました。しかし日本に経済学者はたくさんいるにも関わらず、GDPギャップの捏造を取り上げる経済学者は丹羽春喜先生しかいませんでした。丹羽春喜先生以外の経済学者は御用学者であるか、馬鹿かのどちらかだったのです。

最近、この件について三橋貴明さんが取り上げ始めてくれたので非常に画期的な事です。多くの政治家達はけっこうこの捏造のGDPギャップ統計に騙されていて、景気対策の規模が小さいものになってしまっていたのです。

このGDPギャップが使われないというのは税金の無駄遣いよりもはるかにもったいない事なのです。これは、防衛力の整備にも公共基盤の整備にも、あるいは社会保障の整備にも使う事が出来ます。需要さえ増やせば、それに対する生産は応じられる状態であるのに無駄に消失しているのです。

私は財務省等の経済官庁の幹部の役人の中にはこのGDPギャップを小さく見せかける事で、日本経済を衰退させる事を意図している政策スパイがいると考えています。

次回はもう少しこのGDPギャップについて取り上げたいと思います。