愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

アメリカの経済要求は日本の国益になる場合が多かった

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アメリカのいわゆる対日経済要求について、日本経済を破壊するための謀略であるという様な論者が結構いる。左翼陣営だけでなく、むしろ保守派の論客と言われている人達にもこの様な考えの人が多い。しかしながら、私は全体としてみれば、むしろ日本経済にとってメリットになる場合の方がはるかに多かったと考えている。

日米経済摩擦の歴史は長く、1960年代後半の繊維製品、1970年代後半の鉄鋼製品、1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車(ハイテク製品)などのありとあらゆるものが問題になってきたわけである。また1990年代の日米構造協議や最近ではTPPの問題などもある。

しかし問題の本質は日本の過剰な経常黒字・貿易黒字体質であり、それは日本経済の貯蓄過剰体質である。アメリカが日本に対して内需拡大を要求して来たのは、かなり本質を突いたものであり、それはまた日本の国益にも繋がるものである。(私は1970年代からすでに日本経済はデフレ体質になっており、アメリカはそれを見抜いていたと思われる。)アメリカは決して日本経済の破壊を目的としたものではなく、共存共栄を目的に要求してきているようである。

例えば1980年代のアメリカの経済要求は内需拡大と働き過ぎの解消であった。それによって前川レポートというのが出された。私はこれは日本国民の幸福や日本経済の成長にとってかなりプラスになったと思っている。私は、日本人の働き過ぎつまり過剰な労働供給量が低い賃金水準とそれによる購買力の低下につながっていたと思っている。アメリカの対日圧力で、週休2日制が導入された。私は週休2日制なんてケチな事は言わず、世界に先駆けて週休3日制くらい導入すべきだったと思っている。

またそれに引き続く、1990年の日米構造協議において日本に対して内需拡大が要求された。当時の海部内閣はこれに応え、10年間で総額430兆円という「公共投資基本計画」を策定した。

1990年代の前半のバブル崩壊期において、株や土地は激しい資産価格の下落をもたらしたが、日本経済はかろうじて0〜2%の成長率で済んだ。これは公共事業を増額した事で、資産デフレのマイナスをカバーしたからである。つまり公共事業の増額が無ければ1990年代前半から激しいマイナス成長に入っていた可能性が高い。

そして、1997年から橋本内閣において、消費税増税公共事業の削減の開始などが行われました。その結果、日本経済は大きく落ち込みました。日本の自殺者数は、1997年の2万4391人から、1998年には3万2863人へと急増しました。経済的理由による自殺が大幅に増加したことによるものです。

私は、もしアメリカの要求による10年間で公共事業430兆円というものが無ければ、1990年代の前半の段階で自殺者3万人を超えていたものと考えています。つまり、アメリカの経済要求は結果的に日本人の命を経済的理由による自殺から救っていた事になるのです。