愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

徳川綱吉と徳川家斉は偉大な君主である

一般的には、徳川綱吉(5代将軍)と徳川家斉(11代将軍)は愚鈍な将軍だと思われています。

徳川綱吉は生類憐みの令という悪法を作って、庶民を苦しめ、徳川家斉は側室ばかり作って遊んでいて、政治をかえりみなかった愚かな君主であると、だいたいそういうイメージだと思います。

私は、この2人の将軍こそが江戸時代の繁栄を作った偉大な将軍だと思っています。

私も一般的な歴史教育を受けました。一般に中学や高校で教えられている歴史観というものはマルクス主義史観によって作られています。気がついていないかもしれませんが、歴史教科書は左翼が作ったものなのです。

私が不思議に思ったのは、この愚かな徳川綱吉徳川家斉という愚かな将軍の治世下に元禄文化と化政文化という世界に誇る偉大な江戸庶民の日本文化を生んだという事です。

文化というのは無駄なものであり娯楽です。庶民がギリギリの生活をしている様な状況では生まれないのです。浮世絵だとか歌舞伎だとかの娯楽やあるいは鰻だとか寿司だとか天婦羅だとかのグルメな日本料理というのはこの時代に生まれました。

なぜ愚鈍な将軍の治世下にで生まれたのでしょうか。

この二人の将軍達が非常に浪費家で、その財源を貨幣の改鋳いわば貨幣の発行によって調達したからです。

貨幣改鋳というのを説明します。徳川綱吉の時代に荻原重秀という勘定吟味役、今で言えば財務大臣がおりました。当時、江戸幕府は財源の不足に陥っていました。その点は今も同じですね。荻原重秀は今の政治家や官僚の様な増税によって財源を調達するなんていう愚かな事はしませんでした。

当時の出回っていた慶長小判を回収して、慶長小判の1.5倍の数の元禄小判というものを発行しました。元禄小判は慶長小判の金の含有量の3分の2になりました。そして、元禄小判を慶長小判と同様の価値があるものとして流通させました。その差益を幕府の財源として調達しました。この差益を出目と言います。

つまり、今の経済政策で言えば、通貨供給量を1.5倍にしたという事です。そしてその差益を徳川綱吉はみんな遣ってしまったのです。金融緩和と財政出動を同時にやったという事です。

そうしたらどうなったでしょうか?

江戸の町人達は苦しんだのでしょうか?

どういたしまして、江戸の町人達は繁栄を極めたのです。

元禄という言葉は繁栄の代名詞として使われていますね。昭和元禄とかですね。

徳川家斉も贅沢がしたいために同じ事をやりました。

そうしたら、やはり江戸の町人達は繁栄を極めました。

徳川綱吉徳川家斉はただ贅沢をしたかっただけかもしれません。

しかし政治は贅沢をしたかったという動機ではなく、江戸の町人達の繁栄を生んだという結果から評価されるという面から言えば、徳川綱吉徳川家斉は最高に偉大な政治家という事になります。

マルクス主義史観では、封建君主の贅沢が庶民の繁栄を生んだなどという歴史的事実は認めたくないのだと思います。だから徳川綱吉徳川家斉は愚鈍な将軍として教えられているのだと思います。